ジャカルタに挑戦した理由
AKB48公式10年史「涙は句読点」
~普通の女の子たちが国民的アイドルになるまで~
126P・仲川遥香
インドネシア・ジャカルタJKT48に挑戦した理由
―なぜジャカルタに行こうと?
「単純ですけど、楽しそうだったんです。(発表時は)まだ劇場もない状態で、みんなと作っていく過程を味わえるかなって。それに、1年後には言葉はしゃべれてるかなとか。どこに住むのかなとか、ジャカルタに行った自分を想像したら、絶対に楽しいなと思ったんです」
―言葉はどう覚えた?
「最初は通訳さんがいたんですけど、ずっと一緒にいるのが嫌で、3日で断っちゃいました(笑)。語学の学校も1日だけ。私は勉強が苦手みたいで…(苦笑)。基本はメンバーと話しながら覚えました。日本語をしゃべれる子がいるので、わからないことは聞いて、あとはノリとジェスチャー。今は映画もインドネシア語の字幕で見ています。でもメンバーから覚えたので若者言葉で、丁寧語や敬語を知らない(笑)。ちゃんとした場所で話す時は、学校でインドネシア語を習ったちかりな(近野莉菜)に聞いています」
―メンバーの印象は?
「初期のチームBみたいでした。楽屋もうるさいし、シンディー(浦野和美)の気持ちがわかりました(笑)。メンバーからは、日本からかわいい子が来ると思ったら、ちょっと違ったって(笑)。でもそれがよかったのか。バラエティー番組にも呼んでいただいています」
―ソロでテレビ出演しています
「はじめはメンバーと一緒だったんですけど、面白いから1人でも出演してほしいと言われました。生放送なのに、台本もほとんどないし自由ですごく楽しいです。道でも『ハルカ~』って声をかけられたり、CMも、ソロと合わせて20本ぐらい出ています」
「ガールズバンドやソロシンガーは多いんですけど、アイドルグループは珍しいんです。制服を着て、大人数で歌って踊るというのはいないですし、ファンの方々も熱くて全力。テレビ番組にも応援に来てくれるし。劇場のコールはAKB48よりJKT48のほうが大きいかもしれません」
―握手会はどうですか?
「お祭りっぽいです。ステージがあって、ライブはもちろん、カラオケとかコスプレ大会とかをやります。握手で自分のファンが少なくても、ステージにはたくさん出られます」
―総選挙は日本と違う?
「雰囲気は似ています。テレビ中継もありますし、(大島)優子ちゃんとあっちゃん(前田敦子)みたいなライバル関係もあります。いつもはメロディーがセンターなのですが、選挙ではフェランダと競っていて、2回目はフェランダが1位で、メロディーは3位でした」
―2位は…
「私です!!」
―なんと!何か指原さん的なポジションです
「『恋するフォーチュンクッキー』のJKT48バージョンでセンターをやらせていただいたのですが、スタッフさんからも、今度さっしーがセンターになったら、またセンターでねって言われています(笑)」
―JKT48がインドネシアの芸能界にもたらした影響はありますか?
「ダンスグループが増えました。私たちみたいになりたいという子も出てきて、JKT48では子供たちにダンスやメークを教える取り組みを始めるんです。AKB48と根元は一緒だけど、やることが違うから楽しいです。大みそかには初めてカウントダウンライブもやりました」
―同じ海外の姉妹グループであるSNH48は?
「ちょっとだけライバル感はあります。どちらもシングルはAKB48のカバー曲をやるので、『先にやられた』とか。でも同じ海外同士、公演とかは、どうしているか見に行きたいし、いつか共演したいです」
―JKT48の現在の目標は?
「まずは海外公演をしたいです。JKT48は英語バージョンの歌詞も歌っていますし。あとはゲーベーカー(ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアム)でコンサートです。劇場のすぐ隣なんですけど、9万人ぐらい入るんです。みんなで話し合って決めた目標なので、頑張ろうと思います。」
―仲川さんはこの先どうしたい?
「JKT48のメンバーってお医者さんや会計士とか、歌手や女優以外の夢を持ってる子も多くて面白いんです。私も通訳のお仕事とか、何か事業を始めるとか、芸能界に限らず、もっといろんな世界を知りたいです。だからまだ日本へ帰るつもりはありません」
―充実の海外生活です
「何でみんなやらないのかなって思いますよ。いろいろできて楽しいし、世界が広がるわけじゃないですか。一歩外へ出てわかることってたくさんあるし、ダメだったら日本に戻ればいい。何事も、まずは挑戦です」
なかがわ・はるか=1992年2月10日、東京都生まれ。JKT48チームT所属。チームTキャプテン。06年12月にAKB48 3期生オーディションに合格。07年4月チームBメンバーとしてステージデビュー。08年から「渡り廊下走り隊」でも活躍。12年8月JKT48への移籍を発表。16年12月卒業予定。160cm。O型。
● 追記
同じ海外移籍組であったSNH48宮澤佐江のインタビューも共感できるところがあったので一部記載させていただきます。
―海外に48グループができる意味は
「私は上海に行ったとき、SNH48のメンバーに、『AKB48というグループが存在していることに感謝してほしい』と伝えました。もちろん、そこから彼女たちが頑張って、もともとAKB48好きだった人以外のファンも、しっかりとゲットしてきた部分もありますし、世界のいろいろなところで48グループを盛り上げているということを、AKB48側も感謝してほしいというのはあります」
―お互いもっと尊敬し合えると
「なかなか海外グループと一緒に活動するということはないですし、そういった思いをメンバーもスタッフさんも持てないのは仕方ない環境ですけど、どこかで繋がっているんだよということを、もっとAKB48にも気づいて欲しいですし、『なんか海外でやってるよね』という感覚で終わってしまうのは、もったいないことです。同じ曲を違う言語で歌ってるって、本当にすごいことです。AKB48がブランドになっていますし、『あなたたちがいるから、海外にも48グループがあるんだよ』ということを知ってほしい。もっともっとお互いが、グループとして発信していけば、もっともっと温かくて、海外だけど遠く感じなくなると思います」